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スケジュール

【予告&前回の内容】つれづれ・・・散歩道 10/2は...

11年10月01日

 [ラジオスケジュール]  
9月25日北斗七町を訪ねて 新潟柏崎市北斗町編
10月2日北斗の町を訪ねて 新潟県柏崎観光編
10月9日北斗の町を訪ねて 北海道北見市北斗町編
10月16日北斗の町を訪ねて 北海道北見市観光編

※上記内容は予定となっていますので、変更される場合がございます。



[9月25日の放送内容]

北斗七町を訪ねて 新潟柏崎市北斗町

この番組も早いもので10月で丸7年を迎えます。
これもひとえに番組を聴いてくださるリスナーさんはじめ、ご支援くださる皆さまのお陰と深く感謝しています。
 
去る5月11日に新曲「北斗の愛」を発売しましたが、ファンの方から北斗町という名前が付く町なんと全国に7つあるということを聞きました。
 
偶然の出会いを大事にしたいと思い、北は北海道北見市、根室市、富良野市、新潟県柏崎市、大阪守口市、京都府東山区、南は山口県下松市までを訪ね、北斗つながりで7つの町をつなぐ架け橋ができたらと、「北斗七町を訪ねる旅」をしてきました。

各地元の市役所や観光協会など、たくさんの方々にご協力いただきました。本当にありがとうございました。
 
 ◇
 
9月7、8日。まずは新潟県柏崎市を皮切りにスタートしました。

台風12号が紀伊半島を襲うという大きな被害が出た数日後でした。新潟もその影響を受けて、蒸し暑かったです。

東京駅6時24分出発→長野駅【あさま501号】→長野駅8時12分→新井駅9時18分【妙高1号】→柏崎駅10時38分【くびき】と3つの列車を乗り継ぎ、所要時間は約4時間半でした。

柏崎市は人口9万人の日本海側に面し、昔は宿場町などで栄えた町で、海の幸、山の幸と
豊富です。また米どころでもあり県内でもっとも米の収穫が早いといわれています。

改札を出ると、柏崎観光協会の石橋さんという27歳の青年がお迎えしてくれました。この「北斗七町」の趣旨を理解してくださって、彼がまず案内くださったのは図書館です。そうです。北斗町の名前の由来を図書館で聞くことになっていたのです。

さすが図書館、資料がそろっています。小林さんという、30代の男性がとても丁寧に対応してくださいました。

まずは分厚い新潟県の地名辞典を開き、北斗町の位置や面積などが記されて、特に名前の由来は書いてありません。ただ昭和40年にできた町ということがわかりました。

次に当時の新聞「越後タイムス」を見せていただきます。すると小さな記事ですが「北斗町」という名前は一般から募集して決まったということでした。

また、ここには人はほとんど住んでおらず、昔は田畑であり、その後はリケンという大きな会社の工場が建てられたそうです。

そこで図書館の方が自分なりの推測を教えてくださいました。


柏崎市内の小学校で最も早く校歌ができたのは大正9年「比角小学校」だそうです。教育には熱心で、校歌の作詞はその時の村長。作曲は日本代表としてオリンピックに出たテニスの選手でした。

校歌と校章と校旗の意味についてこう書かれていました。「北斗七星は、天の北極近くに並ぶ七つの星です。道に迷ったときなど、行き手を確かめる時の目当ての星です。いつも輝くこの星のように、大きな夢や希望を持って、力を合わせていこうという願いが込められています。」。

また、昔の地図には、今の北斗町の近くに小学校が載っています。明治8年にできた学校です。ここの校歌になんと「これぞ我らが北斗星」という言葉があり、学校の校章も「星」なのでした。

ということは、この北斗町の近くにあった小学校が市内で2番目に大きな小学校であるということ。そしてその小学校の近くの町名と決めるということで、良いイメージと親しみを感じていた「北斗」という言葉が多数挙がってきたのではないかということでした。



北斗町へ行ってきました。本当にここは工場が町のほとんどを占めていますし、線路が走っています。電柱にかかれた「北斗町」の写真を撮りました。
 
この後、今は少しはなれたところにある、町名の元となった小学校を急遽訪れることにしました。確かに小学校の校舎には「星」のマークがそびえています。

教頭先生から、比角小学校の校歌の歌詞がついている譜面をいただきました。天に近い輝く北斗星のように、自分の心を一つにして、くじけないでがんばって。まるで「北斗の愛」の歌詞そのものでした。


◇リンク◇

千花有黄ブログ「つれづれ...散歩道」: 新潟柏崎市北斗町へ

今回訪れた場所は、 ココ(Google Mapへ)

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