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スケジュール

【予告&前回の内容】つれづれ・・・散歩道 12/4は...

11年11月27日

 [ラジオスケジュール]  
11月20日北斗の町を訪ねて 京都東山区北斗町編
11月27日北斗の町を訪ねて 大阪府守口市北斗町編
12月4日北斗の町を訪ねて 山口県下松市北斗町編
12月11日北斗の町を訪ねて 山口県下松市観光編

※上記内容は予定となっていますので、変更される場合がございます。



[11月27日の放送内容] 

北斗の町を訪ねて 大阪府守口市北斗町編

京都から京阪電車に乗って、守口市へ行きました。京都の三十三間堂の最寄駅「七条駅」から30分くらい「守口市駅」につきました。

この路線実は二度目です。もうお忘れになったお思いますが、数年前に大みそかからお正月2日まで京都で過ごしたことがあり、知恩院の鐘を突こうと3時間も並んだり、芸が上達するように菅原道真公の神社へ行き、そして赤い鳥居のものすごい数の伏見稲荷を紹介したことがありました。

守口市は大阪のベッドタウンで初めて来ました。右も左もわかりません。頼りは守口市役所ということで早速役所へ行きました。

北斗町の場所を地図で教えていただきましたが、北斗町は昭和24年にできたとしか書いてありませんでした。歴史を紐解くと守口市には歴史があり縄文耳朶の遺跡が残っています。また豊臣秀吉による京街道のある宿場町として栄えていた町でした。

しかし「北斗町」は地図を一所懸命見ても、北海道などよく見られた北斗小学校などもなく高台でもなく、なんとなくただの住宅街のようです。

ということで行ってみました。大通りを歩いていきます。守口小学校がありました。すると「北斗町」というバス停がありました。思わず心が和みます。

少し先を左に曲がると、かなりの広範囲の住宅街、守口の北斗町がなんとなく一番人口が多そうでした。特にめぼしいものもなく、なんとなく昭和の匂いがします。小さな工場があったり。

そんなことで北斗町の番地のある看板を写真におさめていました。すると「昭和文房具店」というお店がありました。ここのご主人に「「北斗の町を訪ね歩いています。役所で聞くと昭和24年に北斗町と地名がついたということですが何かご存知ですか?」。

真面目そうな人の好い店主山下鉄郎さんといいます。すると奥の自宅の部屋に入り手帳を取り出し、「昭和24年ですか。うちの親父が名前を付けたんです。」。

何でも明治41年生まれのお父さんは医者を目指していたが事情があり、ここへ引っ越してきて、沼地で区域もわからないので、北斗七星が輝いていたので「北斗町」はどうかと話したら、近所の人も賛同し、役所に申請に行ったとか・・そんな話を聞いていたというのです。

近くには淀川があり、今でこそ住宅街ですが当時は葦や草木が茂るようなところだったそうです。そのうちに山下さんのさっき通った守口小学校時代の同級生が集まって一緒に記念写真を撮ってきました。

帰りはバス通りを出て、反対側の珈琲専門店でケーキと珈琲を飲んで、北斗町の由来の話をすると、お店の人「うそー」とやたら受けていました。その後、大阪の地元のラジオ局で京都は後白河法皇の御所地で北斗堂からでき、大阪守口は文房具屋の店主というと大阪らしいとやっぱり受けていました。

知らなかったのですが名古屋の守口漬けはここ守口大根が発祥地だとか。また、カラオケ喫茶などが多くみられました。地元の住民の方と知り合いになったので、またこれをご縁に遊びに行きたいと思います。


◇リンク◇

守口市

千花有黄ブログ「つれづれ...散歩道」: 大阪府守口市北斗町編


今回訪れた場所は、 ココ(Google Mapへ)

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