京都東山区「北斗町」編

北斗町の旅も新潟柏崎市から始まって、北海道北見市、根室市、富良野市と旅をしてきました。そして今度は京都です。

京都の東山区役所へ行きました。この日は台風15号が関東地方を襲った日でした。私が京都へ着いた頃はもう関東へ向かっているときでしたが、雨と風が強くて大変でした。

東山区役所の総務課の柴田さんにお会いしました。Dsc_0838Dsc_0845

Dsc_0864通りの奥が「北斗町」です。この通りは有名な大和大路その左の塀の奥が三十三間堂です。今は塀で囲まれていますが昔は子供の遊び場だったそうです。
Dsc_0875町会長さんのお宅にもお邪魔しました。

さて北斗町の由来ですが、資料によると法住院というお寺の敷地に北斗堂というお堂があり、ここが北斗町の場所にあたるということでした。江戸後期のお話です。法住院へ行ってきました。三十三間堂の向かいにあるお寺です。

Dsc_0920ここの住職の奥様にお話を聞くと、北斗町も、七条の駅のほうも、後白河法皇の御所だったそうです。由緒書きにある昔の地図を拡大して見ると大和大路があり、確かに「北斗堂」がありました。

それで北斗町と呼ばれるようになったとわかりました。これはわかってうれしかったです。Dsc_0941KBSラジオ「森谷威夫のお世話になりました」の番組でその話をしましたところ、新情報とちょっとした話題になりました。関係者の皆さん、お世話になりました。

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