メモリアルステージが無事に終わりました。
お陰様で1992年9月にデビューして、歌手生活31年目となりました。今回は「憧れのちあきなおみを歌う」と題しまして
ちあきなおみさんの数々のヒット曲やちあきさんがカバーした曲、そして私のオリジナル曲を織り交ぜながら、
これまでを振り返りつつ、ファンの皆様に感謝の心を込めてお届けいたしました。
ちあきなおみさんが表舞台から姿を消した年にデビューした私ですが、11年の歌手生活に一度ピリオド
を打ちました。それまでの芸名を捨て本名に戻ったとき、私は今後の歌手として再出発できるのか大変悩んでいた時期でありました。
住むところもなく、その時に赤坂で劇場を経営する元料亭の女将さんのところにへスーツケース一つで飛び込み、
劇場の楽屋の寝泊まりを許され、ご主人は俳優さんであり、私のことはまだ主人には内緒でということでした。
日中は、解散した事務所の後かたずけや後援会の皆さんに経緯を説明をしたり、実家の親にも会いに行かなければならず、
母親は入院中、父は大変苦労していました。
そんな明日への道しるべもない中、劇場が静まり返った夜、小さな灯りの中、歌の練習をすることだけが救いだった私。
しかし、ある晩、劇場を見回りに来たご主人に見つかってしまい、翌朝ご自宅へ呼ばれたのです。
お世話になったことへの感謝と、またどこかへ移動しなければ・・そう思っていたところ突然聞かされたのが、ちあきなおみさんの歌でした。
「私はこうして生きてきました」・・ちあきさんが初めてのリサイタルでたった一度だけ歌った自分の生い立ちなどの語り歌です。
私のその時の、状況や過去と重なり涙が止まりませんでした。
そしてご主人は言いました。この劇場のこけら落としにちあきなおみさんが独り舞台をしたのだと。そしてご主人はこんなにうまい歌手だと思わなかったと、感動してアルバムを購入されたのだと。
自分も辛い時があり、この歌を聞いて救われたとも仰っていました。
そして私はちあきなおみさんのように、様々なジャンルや、より深い人間の生き様や思いを表現する、演じられる歌い手を目指したいという。新たな希望を見つけたのです。その後、この作詞者である、松原史明先生を探し求め、
18年前に千花有黄として再デビューし「ある・・・黄昏」作詩松原史明 作曲杉本眞人先生へとたどり着いたのです。
こうして歌い続けることが出来たのも、いろいろな出会いや支えてくださる方がいたから、
コンサートやライブへ足を運んでくれるファンの皆さんがいたから・・。言葉で言い尽くせない今の気持ちは、ただただありがとう。
自分一人では何もできません。若い頃の焦りや勉強不足で多くの失敗を重ねた私ですが
今後も流されることなく、目の前の一つ一つを大事にしながら、頑張って行く所存です。
引き続き、応援よろしくお願いします。